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立川簡易裁判所 昭和47年(ろ)251号 判決

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、

被告人は、昭和四六年一〇月二八日午後二時一五分ころ、東京都公安委員会が道路標識によって最高速度を五〇キロメートル毎時と定めた東京都府中市若松町一の二五番地付近道路において、右最高速度を超える八一・八キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転したものである。

というのである。そして、≪証拠省略≫を総合すれば、被告人は公訴事実記載の日時ころ、同記載の道路を普通乗用自動車を運転中、同記載の場所で、速度違反取締中であった警察官の取調を受けたこと、右測定の結果が八一・八キロメートル毎時となっていたことが認められる。

しかし、被告人は終始その違反の点を否認しているので、さらに検討することとする。

≪証拠省略≫によれば、

一  本件取締り現場の情況

1  本件交通取締りの行われた場所は、新宿方面から立川方面へ東西に走る車道幅員一三メートル、中央にセンターラインを設けた片側二車線のコンクリートで舗装された道路(甲州街道)の府中市若松町一丁目二五附近の場所(以下本件道路という。)であること。

2  当日は新宿方面から立川方面へ進行する車両の速度違反を取り締まるため本件道路の歩道上に①点を設け①点の前の車道上の三ヶ所にペンキで印をつけこの三ヶ所の印を見通した線を測定開始線とし、右①点の西方一〇一メートル(通常一〇〇メートルであるが一メートル加算してあった。)の歩道上に②点を設け②点の前の車道上にも右①点の場合同様に印をつけその見通し線を測定終了線とし、②点の西方一二〇メートルの道路から奥まった所を③点とし、③点には速度測定機を装置してあったこと。

3  右①点の西方約七〇メートルに歩道橋が架設されており、右歩道橋西側端から②点までは二八・五メートルあり。また、②点の西方に本件道路と交差する道路があり、右通路手前に横断歩道、停止線が設けられているが、右停止線から②点までは九二・五メートルであること。

4  ①点から道路上左右の見通しはよく、②点からは左方の見通しはよいが、右方は前記歩道橋、並木等のため、②点で椅子に腰かけたままの姿勢では歩道橋より東方の見通しは必ずしも充分でないこと。

5  本件道路は東京都公安委員会告示により制限最高速度を五〇キロメートル毎時と定められていたこと。

6  当日は晴天で本件道路は乾燥していたこと。

二  本件取締りの方法等

1  当日本件現場では府中警察署警部補谷口幸三を取締責任者として、同署巡査室井正男外二名がSHK自記式速度測定機(通称、三共式速度測定機。以下単に測定機という。)を使用して制限速度違反の取締りを実施していたのであって、同人らは一番、二番、三番の三係に分かれ、一番係の室井巡査は、①点で椅子に腰かけて車道上を注視し、速度違反容疑の車(以下対象車という。)を発見したときは、その車の前部バンバーが一番の測定線にかかったとき、測定開始のボタンを押し、同時に携帯マイクで、その車の特徴、車両番号の下二桁、色、車種等を二番および三番へ同時通報し、二番係の谷口警部補は②点の椅子に腰かけていて、一番からの通報を聞き、来進する対象車を確認して同車の前部バンバーが二番の測定線にかかったとき測定終了のボタンを押し、③点に待機する三番係の戸田巡査は、そこに設置されている測定機が、前記一番、二番各係の操作により自動的にテープ上に刻んだ対象車の走行所要時間と時速換算表とによって違反の有無を即座に判断し、違反車については「キャッチ」と告げ、待機する停止係の古閑巡査は車道上に出て来進する対象車を確認して停止させ、取調係の所へ誘導し、取調係が取調べするという方法によっていたこと。

2  前記測定機は昭和四六年八月一一日および同年一二月二二日付で所定の検査をうけておりその精度には異常がなかったこと。

3  そして、右測定機による本件測定結果が四・四秒と記録され、これを時速に換算すると八一・八キロメートル毎時となること。

三  被告人車の動静について

1  被告人は当日、普通乗用自動車を運転して、本件道路の歩道寄り車線を進行中であって、助手席には長男健一当時六才一月(昭和四〇年九月一〇日生)を同乗させていたこと。

右長男は、シートベルト等は装着していなかったが、被告人車の減速又は停車の際その座席からすべり落ちるようなことはなかったこと。

2  被告人車は、②点を過ぎて一八・一メートル付近地点ではその速度が相当低くなっており、停止線の手前一〇メートルぐらいの地点ではのろのろ運転の状態で右停止線では完全に停止したもので、その間急停車した事実は認められないこと。

四  被告人車以外の通行車の有無について

1  室井巡査(一番係)が、①点で、被告人車の速度測定のためボタンを押す直前に、歩道橋附近のセンターライン寄り車線上をのろのろ運転で徐行している一台の小型自動車を発見したこと。

同車は被告人車よりも先に停止線で一旦停止したうえ、横断歩道前方の十字路交差点を右折したこと。

2  右自動車の通行していたことは室井・古閑両巡査および被告人が確認しているが、どこから同地点へ進行してきたかはわからなかったものであること。

谷口警部補は、被告人車以外に右のような通行車があったことは全然知らなかったこと。

がいずれも認められる。

さて、以上の認定事実によれば、被告人が、本件道路を八一・八キロメートル毎時の速度で進行したことは、一応認められるかのようではあるが、他面被告人は「当日は、助手席に長男(当時六才一月)を同乗させていたので子供に危険がないように運転していた、到底八一・八キロメートル毎時の速度は出していない」との趣旨を述べているのであり、かつ、当日、被告人車に長男が同乗していた事実は前認定のとおりであるから、さらに、本件速度測定の結果について合理的な疑いの余地のないものであるかどうかについて検討することとする。

五  本件測定の結果について

本件取締りに使用した速度測定機の精度について異常のなかったこと、また本件測定の結果、測定区間の走行時間が四・四秒と記録され、これを時速に換算して八一・八キロメートル毎時となることは、いずれも前認定のとおりである。

しかし、≪証拠省略≫を総合すると

(1)  測定区間一〇一メートルの間を八一・八キロメートル毎時で進行してきた普通乗用自動車がスリップ痕なし、横ゆれなし、助手席にシートベルト等をつけないで同乗中の六才一月の男子が落座することのない情態で停止することには通常一二〇~一三〇メートルの距離を必要とすること。

(2)  測定終了地点を過ぎて約一八・一メートルの地点でスリップ痕なし、停止音もせずに六―七キロメートル毎時に減速した場合は、その車両の測定終了地点での速度は四〇キロメートル毎時と推定することができること。

(3)  測定終了地点での速度は四〇キロメートル毎時で、しかも同地点までの測定区間一〇一メートルを平均時速八一・八キロメートルになるような速度で走行することは計算上は可能であるが事実上不可能であること。

が明らかに認められる。

ところで、本件道路の距離関係をみるのに測定終了地点(②点)からその前方の停止線までは九二・五メートルにすぎないのであるから、このような距離関係では、八一・八キロメートル毎時の速度で②点を通過してきた普通乗用自動車が右の停止線で停止することはできないことが明らかである。しかも、本件の場合被告人車は右停止線の手前一〇メートルぐらいの地点ではのろのろ運転であり、同停止線では完全に停止したもので、その間に急停車した事実の認められないことはいずれも前認定のとおりである、してみると、被告人車は本件の測定区間を八一・八キロメートル毎時の速度で走行することは事実上不可能であったというべきである。

したがって、被告人車が本件道路を八一・八キロメートル毎時の速度で進行したものとする本件測定結果は、右の認定事実に照らし、合理的な疑いのあることが明らかなものといわなくてはならない。

さすれば、右の測定結果は本件の事実を証明する資料とすることができない。

(なお、合理的な疑いのある測定結果であることが明らかに認められる以上、右の結果を生ぜしめるおそれがあったと認められる過誤又は事情については検討の必要がないところであるが、一応考察すると、別紙のとおりである。)

六  被告人車の速度

しからば、被告人車の本件道路における速度は果して何キロメートル毎時であったかを検討するのに、本件において、これを認定するに足りる証拠はない。

七  結言

以上のとおり、本件においては、被告人車の運転の情況、特に長男(当時満六年一月)がその助手席に同乗していた事情と、測定終了地点から停止線までの距離関係等とからみて、本件速度測定の結果には合理的な疑いのあることが明らかであるから、右測定の結果を証拠とすることは許されないものであり、他に被告人が本件道路を何キロメートル毎時の速度で進行したかを認めるに足りる証拠がないことになる。

してみると、本件公訴事実、即ち、被告人が公訴事実記載の日時に、公安委員会が道路標識により最高速度を五〇キロメートル毎時と定めた本件道路を右の最高速度を超える八一・八キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転したものであるとの事実については、被告人において右の最高制限速度である五〇キロメートル毎時を超える速度で運転したことを認めるに足りる事実の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をする。

なお、本件のような速度違反で取締りを受けた場合被疑者はほとんど反証の余地がないのが普通であるが、取締官としては、被疑者の弁解が一概に排斥できないものであるときは、その場でこれについての証拠を確保すべきであると考える。本件において被告人は取調官に対し三才の男の子(当時六才一ヶ月であったことは前認定のとおり)が助手席に同乗していたこと、他に先行車があったことをも告げて速度の点について強く否認しているのであるが、少くとも右の測定結果が合理的なものであるかについての検討がなされたことはうかがわれない、しかも一年以上を経て起訴されたということは、この種事案としては例の少ないことというべきであり、このようなことによって立証(反証を含めて)が困難となることもありうることを附言する。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 岩崎二郎)

〈以下省略〉

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